美容院という場に対して、私が抱くイメージは、どうしても美容室の一般的な雰囲気とはズレてしまうことがあります。美容室自体が悪いわけではなく、私がその雰囲気に適応できないだけだと感じています。
美容室には、美容室ならではの作法やルールがあり、そこで働く人たちは「らしくあろう」としていることが多いです。お客様がリピートするためのイメージ作りも大切で、選ばれるためには役立つでしょう。一流ホテルのような空気感を纏い、快適さと美しさを提供するために、多くの美容室がその雰囲気作りに力を入れています。
しかし、私は本質的な部分にこだわりつつ、外見的な飾りにはあまり重きを置きません。飾りは、お金をかければどんな風にも作り上げられるものです。本当に難しいのは、表面的な飾りではなく、Core(核心)に影響を与えるもの。そこに本物かどうかの識別があると思っています。
私は立派なサロンにこだわるのではなく、信念と理念を大切にし、クリエイティブで自由でフレンドリーな場で仕事をしたいと思っています。それがたとえ小さなコテージやロッジであっても、美容室として機能できると考えています。
美容室は、利益を追求する中で理想的な形にまとめ上げられたものであり、決して悪いものではありません。しかし、私にとってはそのような環境が重く感じられ、素の自分で集中できないことが多いのです。
おそらく、私はコテージやロッジ、シャックのような場所での仕事が自分に合っているのだと思います。立派さよりも、もっと自由で、本質的で、時にはスピリチュアルな要素を感じながら仕事をしたい。それが私の理想です。
かつて、ロンドンのポートベロマーケットで£3のストリートヘアカットをしていたことがあります。それが私の原点でした。どんな場所であれ、やれるところでやり、必要なものは発想やアイデア、そして楽しむ心です。シンプルに、本物でありたい。それが私のクリエイティブの原点です。
サロンの雰囲気に頼らず、純粋に「自分」という存在だけを評価される仕事。そこには上司も部下もいません。不安や恐怖を抱えながら、そうした環境で本物になる。それこそが職人としての真実だと思っています。
夢があれば、その分だけ壮絶な痛みを伴うこともあります。肉体の傷よりも心の痛みが深いこともあるでしょう。しかし、誤魔化しは効きません。それがプロであり、職人であるということではないでしょうか。
私は、現実と理想、論理と霊性という相反するものがどう共存するのかを探し続けています。答えは見つからないかもしれませんが、その探求が私の生き方を形作っています。
いつか、そうした思いを現代アーティストとして表現できたらという夢もあります。人生は決して長くないので、もしかするとその夢で終わってしまうかもしれませんが、少しでもその方向に進んでいけたらと思っています。
初めてロンドンに住んだ時、センターの北側で「安全な地域」と言われるフィンチリーセントラル駅の近くにホームステイしました。近くには大きな公園、ハムステッドヒースがあり、そこでは幼児たちが芝生に寝転びながら友達と話をしている姿が印象的でした。私の子供の頃とは随分違って見え、優雅な時間の過ごし方に驚かされたものです。
ハムステッドヒースには広い池があり、週末には反対側の池のほとりでオーケストラの演奏が行われることもありました。そんな穏やかな景色が今でも鮮明に記憶に残っています。
その近くには、カムデンタウンという街があります。カムデンタウンは、ロンドンでも有名なフリーマーケットの街で、個人的には若いミュージシャンたちがサバイバルしながら音楽活動をしている街というイメージがあります。彼らがオリジナルのTシャツを作って売りながら夢を追いかけている姿が印象的でした。東京でいうなら、高円寺のような感じでしょうか。とても好きな街でした。
ロンドンのセンター側でお気に入りの場所はコベントガーデン。飾りすぎないシンプルさがありながら、繊細で品格のある店が並び、定番のブランドや個性的なファッションショップが小さな店を構えています。広場では大道芸人がパフォーマンスをしていて、訪れる度に楽しませてくれる街でした。東京で言えば、裏表参道をさらに庶民的で気さくにしたような雰囲気といえば伝わるでしょうか。ターコイズのような緑色や、品のある黒やこげ茶のイメージが、今でも鮮明に思い出されます。
一方、テムズ川を渡った南側にはヴォックスホールという街があります。治安がやや不安定なため割安で、愉快でフレンドリーな芸術家タイプが多く住んでいる地域でした。個性的でユニークな街並みもまた、ロンドンの魅力の一部でした。
こうしたロンドンでの懐かしい思い出が、今の私の生活にも影響しているのかもしれません。東京に住むのではなく、上野原に住みながら毎日東京に通うという生活スタイルを選んだのも、ロンドンで感じた感性や生活のアイデアを日本の文化に重ね合わせて、自分なりに形にしたいという思いからかもしれません。
きっとそれが、私がやりたいことの一つだったのでしょう。今になってようやく気づき、そこを実現してみたいと強く思うようになりました。
若い頃、私は「スペシャルになりたい」と思っていました。必死に努力し、自分を変えようとしました。しかし、あることをきっかけに気づいたのです。自分が変わるわけではなく、周りが私に抱くイメージや扱い方が変わるだけだと。
そのことを理解しても、どうしても自分の行動が止まってしまうことがあり、理由がわからず苦しんだ時期もありました。
ファッション誌の写真は、その完成度が非常に高く、スタッフも一流と言われる人たちが集まっています。若手のクリエイターたちは、作品を作り、何度もチャンスを求めて出版社に足を運びます。しかし、ファッションエディターたちは非常に厳しく、基準に達していなければ淡々と評価される世界です。
ファッション誌に携わるすべてのスタッフは、泥臭い努力の末に最高の作品を世に送り出しており、その中には失敗や不安もあります。しかし、それらは最終的には見えない形で仕上がり、完璧な一枚が世に出ていくのです。
ただ、日常を生きる人々にとっての「最高」とは何でしょうか?
ファッション誌が最も重視するのは現実、つまり販売部数です。しかし、一般の女性たちが求めるものは、ファッションモデルのような非現実ではなく、自分自身に似合い、自分を引き立ててくれるスタイルなのではないかと感じます。
結局、個々の容姿や個性に合ったスタイルを提供することが、真に求められているのだと思います。
一般の女性たちに寄り添い、その自然な美しさを引き出すことが、美容師としての本当の使命ではないでしょうか。
私が見せたいのは、私自身の技術ではありません。私が感じてもらいたいのは、その人が持つ今ある自然な女性美と笑顔です。それが美しくないはずがないと信じています。
この考えを心に持ちつつ、女性たちが持つ本来の美しさを引き出し、その魅力を多くの方に感じてもらえたら嬉しいです。
やはり、髪型があっての女性美ではなく、女性があってこその髪型だと感じます。容姿の美しさは、女性美のほんの一部でしかありません。
私は基本的に、お客様が自宅でブローやセットが難しいことを前提にカットを考えています。
美容師がどんなに完璧なヘアスタイルを作り上げても、お客様がその再現性に悩むことが多いからです。
多くのお客様は、冷静でドライな目線でジャッジをしています。
「サロンでは綺麗になっても、家に帰ったらどうなるのか? シャンプーをしたら元に戻るのでは?」と感じる方も多いでしょう。美しさが見えるか見えないかは、個々の価値観の違いというよりも、その人の感性の成熟度に関わっていると思います。
ここで怖いのは、自惚れと無知です。これに注意を払いながら、プロとしての目線だけでなく、お客様の目線、さらには素人の目線を持つことが重要です。これこそが、造り手にとって本当に大切な観点だと考えています。
プロとしての目線は、美容師としての経験を積んでいけば自然に身に付きます。ですが、実際にそのヘアスタイルを日常的に再現するお客様の立場から見ることが、より良い結果を生むのではないでしょうか。
昔、ひょんなことからインドに滞在する時期がありました。インドに特別な興味があったわけではなく、偶然の流れで到着したのです。情報もないまま、夜に到着した私は、文化的な違いに大きなインパクトを受け、「やばい所に来ちゃったな」と正直な気持ちを抱きました。
腰を落ち着けた場所は、ヨガの聖地リシケシ。俗物な自分がヨガの里に滞在することに違和感を覚えつつも、時間があり余る毎日を過ごしました。観光でもなく、インド文化を知るためでもなく、ただ過ごしていると、自然と本を手に取り始めました。
本屋は小さく、置いてあるのは宗教色の濃いものばかり。その中で、私は「インドの神々についての本」「ストーンパワー」「マントラ」に関する薄い本を手に取りました。これが、精神世界に対して自分の意志で初めてアプローチした瞬間だったと思います。
その後、リシケシの中心部から少し離れた静かなラクシュマンジュラという地区に移り、そこでの生活を続けました。何もすることがなかったので、本を読んだり、河原で筋トレをして過ごしていましたが、徐々にヨガやマントラ、瞑想に対して疑問を抱くようになっていきました。
マントラは本当に効力があるのか? ヨガには体操のような「ハタヨガ」だけでなく、善行をヨガとする「カーマヨガ」や瞑想を中心とするヨガもあることを知りました。瞑想とは一体何なのか? そういった疑問を持ち始め、答えを探すようになったのです。
その過程で、名もなき行者から瞑想や呼吸法、チャンティング、さらには古代の知恵を教わるようになりました。自然物を使った錬金術的な知恵や、ハーブの効力、水銀や石を使った伝統的な薬作りなど、多くのことを学びました。この時期に得た知識や経験が、現在の自分に強い影響を与えていることは間違いありません。
例えば、インドで学んだハーブの知識から、お香やオイルの効力に興味を持つようになり、それが美容の仕事に繋がるきっかけとなりました。
私にとって美容業は仕事の一部であり、それ以上の意味を持っています。ある価値観を大切にする人たちからは、「あなたは美容師に見えない」とか「メイクする人にも見えない」と言われることもありますが、それで構いません。私は、自分の持つ能力や知識を活かして、人々に楽しさや希望を手渡し、共に生きる時間を最大限に楽しみたいと考えています。
人生の中で、ワクワクしたり、笑ったり、怒ったり、悲しんだりする――そのダイナミックな瞬間を共に分かち合うことが、私にとっての生きがいです。
学校での学びが一通り終わると、作品を作り、集めなければならないという焦りが芽生えてきました。
フォトグラファーやモデルと共に作品を作り、その瞬間は満足するのですが、数日経つと古臭く感じたり、違和感を覚えてしまうことがありました。
写真が長持ちしない、つまり時代を超えて美しさを保ってくれないのです。その理由はメイクではなく、ヘアスタイルにあると気づきました。
作品を良くしようとするあまり、ヘアスタイルを作り込み過ぎていたのです。確かに、作り込むことは大切で楽しいことでもあります。ファッションのコレクションでも、作り込まれたヘアスタイルがカッコ良く見える時があります。
しかし、特に尖ったデザインを持つブランドでは、服自体が強い印象を持っているため、ヘアスタイルはシンプルかナチュラルな方がバランスが取れていることが多いのです。
定番的な有名ブランドのコレクションや、ファッション雑誌の撮影でも、ヘアスタイルはロングでそのままナチュラルに仕上げることがよくあります。そこで、私は一つの結論に至りました。
時代を超えて美しいと感じさせるためには、ヘアスタイルはシンプルでナチュラルにすることが重要である
しかし同時に、もしトータルな整合性を持ちつつ、尖ったイメージを自然に表現できれば、その作品はナチュラルでありながらクールなインパクトを持ち、各人にドラマティックなストーリーを与える、強烈で魅力的なものになることも分かりました。
ナチュラルさと作り込み、その両方が持つ奥深さを考えると、クリエイティブの世界には果てしない深みがあると感じます。駆け出しの頃は、その深さに毎日泣きそうな思いで向き合っていました。
美容院では、仕事が終わった後にスタイリストやジュニアスタイリストが練習をして帰ることがあります。私もその一人で、デザインを考えたり、イメージしたバランスを実際にカットモデルをお願いして試すことで技術を磨いています。
ただ単にカット技術を学ぶだけでなく、イメージの変化についても勉強しています。さらに、写真撮影に慣れることも目的の一つです。
ある日、少し内気で、恥ずかしがり屋な方にご協力をお願いしました。お客様にとって、自分ではなく私がイメージを形にするため、恥ずかしさよりも楽しさを感じながら新しい自分を体験していただけました。
まず、前髪を左から右に流していたスタイルを、そのまま前に落とし、毛先の約1/3に軽いカールをつけてみました。それだけで、まるで塗り絵に色を差し込んだかのように雰囲気が変わりました。次に、髪を手ぐしで後ろに送り、顔周りの髪をスッキリさせたところ、凛とした強さを持つキャリアウーマンのような雰囲気が生まれました。
「なるほど、強さを引き出すことができた」と感じた私は、今度は柔らかさや可憐さを探り始めました。髪を片側にまとめて前に出すと、可憐でありながらも色っぽい雰囲気が生まれたのです。しかし、しっとりした色気ではなく、クールでありながら魅力的な印象を引き出すことができました。
この頃になると、お客様自身も写真に撮られることに慣れ、自信が表情に現れ始めます。
女性が自分自身の魅力に気づくと、何かが変わり始めます。まるでオーラが漂い、美しさの香りが広がっていくように感じられるのです。
この瞬間こそが、私が美容師として最も喜びを感じる時です。
私は東京都中野区で生まれ育ちました。中野区南端に位置するこの地域は、交通の便があまり良くない場所ではありますが、新宿や渋谷、世田谷、杉並、練馬といった都会の中心に隣接しています。
その後、海外で数年生活し、学び、再び東京へ戻りました。
都会で生まれ育った者にとって、騒音は子守唄のようなものです。静かな場所に行けば最初の数日は心地よいと感じるのですが、次第に落ち着かなくなるのが常でした。
しかし、最近になって、その感覚が変わってきたのです。
都会は確かに便利で華やか、刺激的です。しかし、私にとってはもう驚くほどのものは何一つなく、すべてが演出に過ぎないと感じるようになりました。これは単に年を重ねたからではなく、時代の文化的価値観が大きく移行しつつある証拠だと思います。
私は現在、東京都の端にある駅からJRで約20分、甲府方面へ向かった山梨県上野原市に住んでいます。
ここは山々に囲まれ、川や大地の息吹を感じることのできる田舎です。上野原の市街地ではなく、500メートルほどの低い山々が連なる場所で、東京の中心部へは約2時間かかります。しかし、この2時間は携帯で仕事をするのにちょうどよく、集中する時間として活用できます。
こうした「東京から2時間の田舎」は、都会の仕事をしつつも、自分のライフスタイルを築くのに最適な場所です。地元の農家から畑を借りることもできるそうで、自然と共に生きながらクリエイティブな活動ができる環境が整っています。
人々は今、大自然とクリエイティブ、個性と仕事を繋げて生きる場所を探し始めているように感じます。美容や癒し、心と身体のケアを通じて、魂と一つになるサポートを提供する私にとっても、この環境は理想的です。
いずれ、この地域でも自分を活かして仕事ができたら――そんな夢を描いています。この土地の空気感で、人々を癒すことができたらと思い、チャンスがあればぜひ挑戦したいと考えています。
ヨーロッパで感じた自由でアイデアに満ちた生活や自然を愛する心、都会の近くにある田園地域には、これから大きな可能性があると信じています。
イギリス、ロンドンには、世界最大級で最も優れた美容師たちが育ち働いているサロンがあります。それが「ビダルサスーン」。
ロンドンのボンドストリート近くに位置するサスーンは、美容学校も併設しており、世界中から多くの生徒が集まり、そこで美容の技術を学びます。
私もその学校に入学し、全学習工程の5学期を経て、各学期ごとに最優秀生徒が選ばれるカット技術の2ndステージと3rdステージで、その栄誉を手にしました。
しかし、華々しいキャリアを夢見ていたにもかかわらず、私の心の深い部分は、どうやらそれを本質的に望んでいなかったのかもしれません。何か矛盾を感じながら居座ろうと努力したものの、最終的には自分の居場所ではないと気づきました。
そこで、私が選んだ道は 完全なフリーランスのヘアカッター。
風流と粋を持って生きた昔の髪結いや化粧師のようなスタイル、また精神的な豊かさを追求し、旅する俳人のように生きることに共感を覚えながらの道でした。
現在、私は日本各地の一般の女性たちに、ビダルサスーンで学んだ技術を提供し、年齢に関わらず彼女たちの「今」の本来の美しさを引き出すお手伝いをしています。
私の仕事は、彼女たちが自分自身を楽しみ、可能性がいつでもそこにあることを実感してもらうことです。その真実を独自の方法で伝え、彼女たちが自信を持ち、輝く姿を見られることが、私の何よりの喜びです。
瞑想中、目を瞑りながら意識の中に深く入っていく。自分が寝ているのか、起きているのかもわからなくなる瞬間があった。
「私は起きていたのだろうか?寝ていたのか?いや、あの子猿が現れるまでは確実に意識があった!」
アサーナを組み、両手を膝に置き、親指と人差し指で輪を作りながら瞑想を続けていた。呼吸を整え、静かに、長く息を吸い、同じリズムで吐く。呼吸が深まるにつれ、意識の中に映像が朧げに見えてきた。
足を組んで座っている自分の姿が見える。すると突然、水が目の前に流れてきて、自分はその水の上に座ってしまうことになる。前方の水面がはじけ、そこから手の平サイズの小さな子猿が現れた。子猿は水しぶきと戯れながらも、ずっとこちらを見つめていた。
その瞬間、上空に大きな存在感を感じた。逆光の中、細身で武装した女戦士が馬に乗り、長い槍を回しながらこちらを見据えている。逆光で顔ははっきり見えなかったが、手や腕、首、そして頬が深い蒼色だった。その瞬間、彼女が神族であることに気づく。
スーッと我に帰り、夢だったのか現実だったのかを考える。しかし、頭の中に残っていた名前は「サラスヴァティ」。
これは、私にとって初めて具現的に現れたサラスヴァティの姿だ。日本では「弁財天」として知られる女神――その神秘的な姿が、今でも鮮明に心に刻まれている。